高井たかし|次期衆議院選挙、民主党岡山1区公認予定者

プロフィール

衆議院議員   総務委員   倫理選挙委員(特別)
民主党岡山県総支部連合会幹事長 岡山県第1区総支部長

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歩み

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北海道函館営林局職員の父・明と、職場結婚の母・久美子の長男として、北海道函館市に生まれる。髙井家は長州藩(山口県岩国)の出身でありましたが、明治時代に開拓使として北海道に渡りました。

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4歳で東京に転勤し、小中高校時代は東京・新潟・群馬・北海道を転々としました。小学校時代は野球、中学・高校時代はサッカー部に所属し、スポーツに明け暮れる毎日を過ごしました。転校が多かったのですが、いつも友達には恵まれました。1歳半下の弟と仲がよく、私の友達と弟の友達はいつも一緒でしたから、野球やサッカーのメンバーに困ることはありませんでした。ただ、周りにはいつも男ばかりで、女の子にはさっぱりもてませんでした。(今もですが…)

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高校3年生から猛勉強を開始しましたが、敢なく受験は失敗。1年間浪人の後、東京大学文科三類に合格しました。大学時代は人生勉強と称して飲み会と徹マン(麻雀)とアルバイトの日々でした。親の仕送りはなく、奨学金とアルバイトで生計を立てました。特に4年間続けたNHK受信料集金のアルバイトは貴重な体験でした。受信料を払っていない方専門に回る担当だったので、怒鳴られたり、無視されたりすることは当たり前で、時には日本刀や包丁を突きつけられたこともあります。

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大学の卒業論文のテーマが「NTT分離分割論」であったことから、電気通信行政に興味を持ち郵政省(現総務省)に入省。希望通り電気通信局電気通信事業部へ配属されました。

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大学時代に第三外国語で習ったドイツ語をフル活用し、ドイツ北西部の城下町ミュンスターへ10ヶ月間留学しました。留学中にヨーロッパ各地を一人で旅して歩いたことが最大の収穫でした。

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橋本総理が肝煎りで始めた行政改革(中央省庁再編)の担当となりました。郵政省は、郵政事業民営化及び通商産業省への統合という解体の危機を迎えておりました。組織防衛の最前線の部署に在籍し、中央省庁が国民のことを全く顧みることなく、自分たちの組織・省益を守るために自民党族議員と結託し、あらゆる手段をなりふり構わず講ずる姿を見て辟易し、この頃から自分の仕事に強く疑問を抱くようになりました。

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局員400名(ゆうメイト含む)の郵便局の副局長を拝命いたしました。副局長の最大の任務は地域の方々とのお付き合いであり、お酒どころ新潟だけに、連日連夜おいしい日本酒を囲む毎日でした。

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前半は地上デジタル放送の担当となり、NHKや民放(キー局)幹部の方々と夜が更けるまで議論を闘わせました。後半は、通信・放送融合時代に対応する新法「電気通信役務利用放送法」策定の実務上の責任者として法案策定に携わりました。この法律はこれまでの通信・放送法制の枠組みを大きく変更する大変意義のある法律であると自負しております。年末年始も返上で、最繁忙期には週のうち睡眠時間が10時間しかない週もありました。

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私の生涯にとって運命の転勤となりました。この時は、まさか、岡山に永住したいと思うようになるとは夢にも思いませんでした。県庁での仕事は全てが新鮮でやりがいがありました。国の政策に何度も反旗を翻し、総務省から怒鳴られたこともありますが、「地域主権」の考え方を貫きました。外に出てみて、中央集権体制がもたらす病理がもはや一刻の猶予もならない危篤状態にあることを確信しました。
プライベートでは、趣味のマラソンが昂じて、徒歩での四国八十八カ所巡りを敢行し、2年間で1200km歩いて回りました。この走破は私の人生に於いて大きな自信となりました。この他、西大寺裸祭りに3年間出場させて頂いたことも大きな思い出の一つです。岡山では本当に大勢の素晴らしい仲間に恵まれ、35年間生きてきて本当に最高の3年間を過ごすことができました。

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4月に総務省へ復帰することになりましたが、既に決意を固めていた私は、9月に上司に辞意を伝え、12月末で総務省を退職し、岡山へ戻ることになりました。

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総務省を退職したその日に岡山へ帰りました。民主党の国会議員候補者公募に合格していたのですが、岡山県の国会議員候補者は全て決まっていましたので、まずは、江田五月参議院議員の下で政治の勉強をすることにいたしました。

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小泉総理による突然の「郵政」解散総選挙は、私の人生を大きく変えました。
現職岡山市長が刺客として衆議院選挙へ鞍替え。これにより行われることとなった岡山市長選挙に、民主党や市民団体からの要請を受けて立候補することとなりました。結果は58,165票を頂くも惜敗。自らの力不足を痛感いたしました。

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岡山市長選に敗れた後、自分自身を見つめ直す為に、民主党からも離れ浪人することにしました。
政治活動を行う傍ら、生計を立てるため、これまでの経験を活かし、ITコンサルタント会社を設立しました。
ベンチャー企業の支援やホームページ制作業を営みながら、これまで経験したこともない苦労もありましたが、経営者仲間の勉強会などにも入り、お役所勤めでは得られなかった貴重な経験を積むことができました。

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浪人時代に感じたのは、今、国民の皆さまの願いは、「政治を変えてほしい」ということでした。今、政治を変えるにはどうすべきか?を考えた結論として、改めて民主党に入党し、次期衆議院選挙の予定候補者として活動することだと決意いたしました。
以来、1年半、解散までの道のりは長かったですが、毎朝・毎晩、雨の日も風の日も、時には雪の日もありましたが、街頭に立ち続け、「政権交代」を訴え続けました。

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第45回衆議院議員選挙(平成21年8月18日公示 30日投開票)に、岡山1区民主党公認候補として立候補し、106,269票を獲得しましたが、約4,000票差で次点に終わりました。
比例中国ブロックでは当選を果たし、衆議院には始めての挑戦で議席を得ることができました。また、9月には民主党を中心とする連立政権が誕生し、ついに政権交代が実現しました。

応援

高井たかし君は、総務省を辞めて政治を志し、江田五月のもとで一から勉強したいとの心意気。この男は、江田五月の後継者になりうる人物だと直感しました。
大学の後輩でもある高井たかし君の「志」は本物です。高井たかし君の経験と熱意で、より一層「国民の生活が第一」の政治を推進してほしい。江田五月会を挙げて全力で応援します。

江田五月会会長 河原 昭文(弁護士)

応援

私達は 高井たかし君 を応援しています。
高井たかし君は、県庁マンにしては珍しくフットワークのいい男で、情報政策課長として岡山情報ハイウェイなど「IT先進県おかやま」の基礎を創ったといっても過言ではありません。
彼のように「役人らしくない」普通の感覚をもった男が政治家として活躍してくれるのは、本当に嬉しい限りです。
岡山と日本の将来のために、ますますの活躍を願っています。

高井崇志後援会会長 本田 和男(岡山県立大学前学長)

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