NPOフォーラム
この1年間、いろいろなNPO活動に参加してきた。
NPOについて体系的に勉強したわけではないが、直感的に、21世紀の日本社会の在り方を変えてゆくのはNPOである。
そんな予感がするので、いろいろなNPOに顔を出してきた。
今日はその漠然とした予感が、はっきりと形になった一日だった。
若手社会人と学生を中心に結成した勉強会「ホッと☆サンドウィッチ」の主催により、富野輝一郎龍谷大学教授をお招きして、NPOフォーラムを開催した。
富野先生は、米軍住宅建設反対の市民運動から、40歳の若さで神奈川県逗子市の市長となった方で、現在は龍谷大学教授で、NPO活動をはじめ市民活動の分野では、権威の先生である。
今日の会には、連合岡山の方々にも数多く参加いただいた。
連合中央本部では、これまでの労働運動を市民運動へ転換してゆこう、という動きがあり、そんな動きをいち早く取り入れようという先進的な活動を続ける連合岡山地域協議会やサービス流通連合の皆さんにご参加いただいた。
富野先生も、こうした連合の動きは、「歴史的な変革であり、画期的なことだ」と高く評価されていた。
シンポジウムのパネリストには、
・食と農を中心に環境問題に取り組む「エコウェーブおかやま」代表の高瀬喜与江さん、
・倉敷の街並みを保存しようという活動を続ける「倉敷町屋トラスト」代表理事であり、「倉敷まちづくりネットワーク」代表世話人の中村泰典さん、
・県庁職員でありながら、岡山を「住みやすいまちから、住みたくなるまち」へ変えるための活動を、若手社会人と学生を中心に進める「SPOxT」代表の石田篤史さん、の3名をお迎えした。
コーディネータは、不肖、高井たかしが務めた。
富野先生のお話はとても刺激的でエキサイティングであった。
日本では、阪神大震災以来活発となっているNPO活動であるが、この活動は、実は、わが国の歴史上、「明治維新」、「第二次世界大戦」に続く、第三の大変革なのだ、と富野先生は言う。
NPO活動の元祖はアメリカである。
開拓の時代から、政府に力が無かったアメリカでは、市民自らが社会インフラを整備してゆかなければならなった。
したがって、市民間のボランティアによる相互扶助の精神が培われ、今でもほとんどの国民が何らかのNPO活動に参加していると言われる。
NPO活動への寄付金の額は、日本の国家予算に相当する80兆円にものぼり、個人が何兆円も寄付をする、そんなお国柄だ。
ちなみに、日本人のNPO活動に対する寄付金の額は、アメリカの3%に満たないと言われている。
しかし、日本にも、江戸時代には、NPO活動に似た活動があったという。
大阪の「淀屋橋」は大阪商人の淀屋辰五郎が建設したものだ。
「道頓堀」も、江戸中心である江戸幕府には期待できないため、大阪商人たちがお金を出し合い建設したインフラだ。
この頃は、政府ではなく、市民(商人)が公共事業を行っていたのだ。
しかし、明治維新以降、中央集権国家となった日本は、全てのインフラ整備を政府が担うようになった。
この流れは、第二次世界大戦後も続き、公共サービスは行政により提供されるのが当たり前となった。
しかし、バブルが崩壊し、わが国の国家財政が破綻の危機に瀕している今、国家(行政)が公共的な仕事を一手に引き受けてきたこれまでの仕組みは限界に達している。
これからは、市民(NPO)が行政に代わり、公共的な仕事の一部を担ってゆかなければならない。
そのためには、現在のボランティアのみに依存するNPO活動ではなく、財政的にも人的にもしっかりしたNPOを作る必要がある。
アメリカではNPOスタッフは有給が当たり前で、大学卒の10人に1人はNPOスタッフになると言われる。
ハーバード大学を優秀な成績で卒業した若者が、年収1000万円のNPOスタッフを目指すのだ。
一方、日本では、NPOの常勤スタッフの平均は1.3人。
スタッフの平均年収は200万円以下である。
「公共」の「公」は行政が、「共」は市民(NPO)が担うべきである。
先生が最後に言ったこの言葉は、まさに正鵠を得ており、目から鱗が落ちる言葉であった。
行政は、言葉だけの「協働」ではなく、真の意味での、市民(NPO)との「協働」を実現しなければならない。